彼の亡骸に愛をこめて

 
今から出てくる『彼女』と『彼』が どうか貴方の中で何者にもなりませんように。
 
 
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「そういう細かいことやたら気にするよね。」

 
あぁ、またやってしまったな、と彼女は思う。今のは彼女が零した「こういうのって身体だけの関係って言わない?」という言葉に対する彼の発言だ。
この恋愛に「好き」以外の小難しい感情を持ち込むのはナンセンスだと分かってはいるのに 惰性、性欲、信愛、執着……などという陳腐な言葉が彼女の頭に浮かんでは消えてゆく。
 
『好きの反対は無関心』という言葉は彼女にとって恐怖で、例えば「彼が私に向けているそれは本当に恋愛感情なのだろうか。」等のどうしようもない問い掛けは 彼を本当に信用することさえ出来ていれば浮かばないものである、と彼女の頭は理解していた。それでも、今の彼女には 彼に対して沸き上がる懐疑心へ無関心を装うことすら出来なかった。
それくらい、切羽詰っていたのだ。
 
 
きっかけは些細なこと、白地に水色の糸で施された刺繍 キラキラの肩紐 真ん中に薄水色のリボンと大きめのラインストーンが1つ付いている 女の子なら誰もが憧れるような可愛い下着。
「写真送ってよ。」の一言で簡単に身体を切り売りする彼女の壊れた価値観は 2人の関係を少しずつ蝕んでゆく。この恋愛はもう プラトニックな形を保ってはいなかった。
 
 
彼女は精神的繋がりのある恋愛を羨望していた。しかし、友人に向ける「好き」と、恋人に向ける「好き」の違いが分からない。彼女の中でそれは「相手に対する執着心の大きさの差」ということで落ち着いてはいたものの それは形ばかりで きっと浅はかな考えなのだろうな、と無い頭を悩ませる日々が続いていたのだ。
 
彼女を振り回す条件付きの愛情はいつ刷り込まれたのだろう。本人ももう覚えていないくらいずっと前のことかもしれない、彼女が勝手に思い込んでいるだけなのかもしれない。そういうことも全て、今の彼女にはどうでも良いことで、ただ一つ、恋の終わりが近づいてきていることだけを彼女はそれとなく察していた。
 
 
「失って初めて大切さに気づく」とはよく言ったものだ。皮肉なことに彼女は 失って初めてそれが、彼が、自分の人生においてあまり必要のないものだったのだな ということに気が付いた。もう随分と長いこと心を埋めていたはずの大きな大きな彼の存在が 肉眼では見えないくらいに小さくなりやがて静かに死んでゆく。心にぽっかり空いた空洞は 例えば美味しい食事 お気に入りのアーティスト 彼女に向けられる他人からの好意 そんなありふれたモノで 思っていたよりもだいぶ簡単に埋まってしまう ということに彼女は少し驚いた。それは彼女の錯覚かもしれない それでも確かに 今の彼女の心は前より幾分か満たされている。これで良かったのだろうか いや、良いと思い込むしか無いのだ。
 
 
二度と逢うことは無い、追懐することも 遺却することも望んではいない。彼女は今日もインターネットに自分の思想を垂れ流す、もう何処へ行ったかすら分からない、彼の亡骸に愛をこめて。